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さよならW9編成!?→おいでやすV9編成!?

さて秋が深まる11月に突入し、500系充当の定期「のぞみ」の1往復がN700系に置換えられるまでのカウントダウンが始まった。これにより500系の引退への兆しが見えはじめてきたのだ。

25日、113系の旅を終えた私は500系の「のぞみ28号」の到着時刻に合わせて品川駅の新幹線ホームへ向かった。11月10日よりN700系での運転に変わるのは現在の2往復のうち、夕方に東京駅を発着する28号と51号。10月1日には2月28日まで500系で運転される6号と29号を取材した。いよいよ1往復削減により500系の「のぞみ」からの引退へのカウントダウンが開始される。かつてN700系登場前は東京〜博多間の「のぞみ」のうち2時間に1本は500系で運転されていたのが今となってはこの通り。なのでファンの方々も、2往復が健在するうちに記録して欲しいと思っている。

まずは東京へ向かうのぞみ28号を記録する為に、上りの21,22番線に足を運んで撮影に臨んだ。



こちらも引退へのカウントダウンが始まっている形式の一つ。300系は2006年度末に量産先行車のJ1編成が廃車となったのを皮切りに2007年度より、乗り心地改善工事の対象から外れた初期編成を中心とした編成から廃車が始まっている。当初は61編成が在籍していた300系J編成も、今年度は現在までに8編成が姿を消し(J24〜J26、J28、J38、J39、J41、J43)、残るのは33編成に・・・。今年でN700系の在籍数が300系の在籍数を上回る形となった。



2006年までに全ての編成の増備を終え、全盛期に突入した700系。1997年に量産先行車であるC0編成(後のC1編成)が落成して以降、1999年から2006年までの7年間、JR東海とJR西日本問わず増備が続いた。700系は加速度向上の工事が行われているところだ。300系が引退する頃には700系の高速化も始まるのだろうか・・・。



こちらのC8編成は1999年製の2次車。2001年製のC28編成までは平面ガラス仕様となっており、ドア窓の位置が低い場所にある。新大阪行き臨時のぞみ385号充当中。



そして最近、徐々に勢力を伸ばしているN700系のZ4編成。Z編成はJR東海所有の編成だ。2007年7月の運用開始までには東海車のZ1〜Z5までと西日本車のN1編成が既に試運転を終えて営業運転に入れる状態となった。N700系Z編成は2012年までに80編成が揃うこととなっており、今年で予定の半分の製造を終えた(Z1〜Z41)。



N700系の行き先表示は、新幹線車両としては初めてとなるフルカラーLED方式。LED方式は100系V編成、K編成、P編成と500系、700系B編成、E編成に採用された。広島行き定期のぞみ121号充当中。今年のダイヤ改正で東京〜広島間の定期「のぞみ」はほぼ全てN700系に統一されている。



N700系は車内の静音性を高める為に号車間には全周ホロが取り付けられている。また新幹線としては初めて、全面禁煙を実施。愛煙家の為に700系まで喫煙車だった場所に喫煙ルームを設けている。



こちらは300系J50編成。1997年製の末っ子車だ。新大阪始発の定期ひかり520号充当中。300系は現在、定期列車としては「ひかり」「こだま」のみに充当されており、定期「のぞみ」に入る事はなくなった。しかしながら現在も臨時の「のぞみ」に投入されることもあり、初代「のぞみ」として揺るぎない活躍を見せる。



300系2本が並んだ。300系は10M6T構造。10両の動力車と6両の非動力車で構成されている。また300系の車体はアルミハニカムという構造で出来ている。ハニカム(蜂の巣)をイメージした六角形状の小さな分子により形成されている。300系は構造上6両化することは可能ではあるが、その際に先頭車の切り接ぎをしつつM化を行わなければならない。アルミハニカムは加工に適さない金属なので300系は短編成化を行わずに16両のまま消滅する唯一の形式となる。



そして今回のメインはこの「のぞみ」だ。葬式テツが出動する前にあらかじめ記録しておかなければならない。



今回やって来たのは量産最終編成のW9編成。500系はJR西日本でしか製造されず、しかも新幹線としては在籍編成数が少ない為、稀少価値の高い形式である。



運転席の窓は、戦闘機などに使用されている素材と同様のものを使用しているのだとか・・・。



登場当時、営業列車ではまだ実現されていなかった時速300km/h走行。この500系が新幹線界に革命を起こしたとも言える。



W9編成は一旦東京へ行った後に始業を終えて博多へ帰る準備をしてから再び戻ってくる。こののぞみ28号が出発してから私は下りホームの23,24番線に移動した。その前に1ショット記録しておいたものが・・・・。



N700系Z18編成。新大阪行き定期のぞみ241号に充当中。2011年までに定期「のぞみ」がN700系に統一されることが既に公表されているようだ。現在もN700系に置き換わる列車が続出している。

さて私は折り返し博多行きのぞみ51号が来るまでは下りの23,24番線で待機した。



700系C59編成。C編成は最終的に60編成までが揃っているが59編成は最終増備1つ手前の編成。2003年製の10次車で新大阪発の定期のぞみ236号充当中。



2001年製のC29編成以降の編成は、ドア窓の形が300系に似た高位置、丸みを帯びた正方形型となっている。後のN700系のドア窓の形もこれと同じである。



この後に岡山行きひかり481号に充当されていたC38編成。700系は現在、定期列車としては「のぞみ」から「こだま」までの全ての種別の運用に入っている。ただN700系の増備によって700系からN700系へ置き換わる「のぞみ」も増えてきている為、700系は「ひかり」「こだま」運用へ次々と回されている結末に・・・・。「のぞみ」が全てN700系に統一され、700系が「ひかり」「こだま」専用になってしまうのはそう遠くはない。



博多行きのぞみ49号に充当されていたのはN700系N3編成。N編成はJR西日本所有の編成である。N700系の編成記号に込められた意味、それは

・Z=アルファベット順に最後の文字となるので即ち、新幹線の完成形である
・N=西日本のN700系 西日本、N700系の両方の頭文字が出て「N」になった

ということだ。N700系は新幹線開業から43年目にして営業運転を開始した。ここまで来るには数々の苦難や問題を抱えていたのだが、初代0系あってか新幹線技術は進歩し続けている。このN編成はZ編成と比べれば在籍数が少ない為に主に東京〜博多間の「のぞみ」運用に入る事が多く、基本的に東海道内運用や東京〜広島間の運用には基本的にZ編成が充当されている。



N700系は500系に次ぐ山陽新幹線内での最高時速300km/h走行を営業運転において可能にした形式。500系に似たストリームラインをN700系にも採用している。ただ東海道区間では全ての形式の車内定員数を統一しなければならないことから、N700系は1,16号車の両先頭車のシートピッチを小さくしている。N700系の場合は全周ホロによって車内の静音性を高め、700系並みの素晴らしい乗り心地を確立している。また車体傾斜システムによって東海道区間の急カーブを時速270km/h走行のまま通過できるようになっている。ただN700系「のぞみ」の現行の東京〜博多間の所要時間は500系よりも遅く5時間3分(500系は4時間49分)となっている。ただこれは700系と共通運用であるが為に700系とほぼ統一しているといってもいい。今後500系のスジがN700系に置き換わればN700系も500系並みの性能を発揮することだろう。

700系までは東海車、西日本車とで外部、内部のデザインが異なっていたがN700系では全ての編成のデザインを統一、言わばZ編成とN編成見た目は同じということとなる。マニアックな視点まで掘り下げなければ分からないはずだ。



まだまだ増備が続く新形式N700系。500系と700系の技術をMIXしたともいえるこの形式はまだまだ生まれている途上にある。ガンバレ、N700。



そしてこちらの処遇にも目が行ってしまう。300系は500系や700系が台頭し始めた2000年頃から定期「のぞみ」運用から外れて定期列車としては「ひかり」「こだま」中心の運用となった。だがしかしながらも引退に近付いている現在でさえ臨時ながら「のぞみ」運用に入る事もある。今回は岡山行きのぞみ189号に充当されていたJ48編成に遭遇した。



「のぞみ」誕生当初の1992年頃には名古屋駅を通過する所謂「名古屋飛ばし」というのが行われていた。これは後に利用者から苦情が殺到して廃止されて現在は全ての営業列車が名古屋駅に停車するようになっている。営業列車として名古屋駅を通過したことがある唯一の形式がこの300系だ。現在、新幹線は全ての列車が品川駅、新横浜駅、名古屋駅、京都駅、新大阪駅、新神戸駅、岡山駅、広島駅、小倉駅に停車する。



またまたN700系。こちらはZ8編成。営業運転開始年度の2007年製の車両。N700系は日中の毎時3本ある山陽直通の定期「のぞみ」のうち東京〜博多間の1本と東京〜広島間の全ての便に充当されている。増備が進むにつれて500系や700系からN700系に置き換わる列車も日に日に増えてきている。また朝夜には「のぞみ」の間合い運用として「ひかり」「こだま」運用にも入っている。博多発のぞみ30号充当中。



続いてはJR西日本所有の700系B編成(写真はB13編成)。「レールスター」用E編成の増備をほぼ終えた2001年頃より西日本でも16両編成の増備を開始。2006年までに15編成を揃えた。JR東海所有のC編成とは内装は勿論のこと、先端部のJR700のロゴが刷り込まれている。

そして・・・・





行き先表示や自由席、指定席の案内もLED化されている。JR西日本所有の編成は0系を除いて全て行き先表示がLEDになっている状態で製造されている。種別表示が絡んでか、3色LEDになっていると言っていいだろう。

このB編成は基本的に「のぞみ」中心の運用に入る。「ひかり」「こだま」としては主に山陽新幹線内で入る事がほとんどともいえるので東海道新幹線内で「ひかり」「こだま」は基本C編成充当、その運用に入るのは至って珍しい。



こちらは名古屋行きこだま675号充当中のJ50編成。先程ひかり520号として東京へ行った後に再び始業を終えて引き返してきた編成である。

300系の廃車は車齢が高い順に行われているのではなく基本的に全検切れの編成から順に行われている。よく1997年製のJ43編成がなぜ1993年製のJ20編成より先に廃車になるのかという疑問を抱く人が多いのだが、全検切れの編成が検査を再び行ったら経済面でどうなるのかという面を考えてみてもらいたい。全般検査を行うにはそれなりにコストがかかる。それにコストをかけていれば新型のN700系の製造にも響く恐れが出てくる。N700系の製造は主にJR東海とは別の組織会社で行われているのだが、JR東海も費用を負担している。基本1両(1編成ではない)あたり1億円はかかることから、300系の全般検査にお金をかけていたらJR東海は下手すれば赤字になってしまう。また検査を行わずに営業運転で酷使していたらどうなのかという問題も出てくるであろう。もし全検切れの編成が客を乗せて走っていたとすれば、事故や故障が起りかねないという面で乗客の不安は更に募るばかり。乗客の不安を募らせない為にもやはり検査は重要である。

なのでJ20編成よりJ43編成が先に廃車となってしまう訳なのだ。ただ1993年から1994年にかけて製造されたJ20〜J23の4編成も活躍から最早15年以上が経過することとなる為、今年中に廃車になる編成の対象車になるだろう。また、J55編成までは2011年2月頃までには姿を消し、引退直前までにはJ57編成以降の編成が残るのみとなりそうだ。また、現在1編成も廃車がないF編成も500系置換え終了後の来年以降に大きな動きがありそうだ。

<推定>
・J編成・・・2011年3月引退予定
・F編成・・・2011年中もしくは2012年3月引退予定



そして東京から再び折り返してきたのぞみ51号を捕らえた。



11月10日より夕方東京発着の1往復はN700系に置き換えられる。これ以降は定期列車としては1日1往復の運用を担うこととなる。そして2010年2月28日を以って500系による「のぞみ」運用は終了し、それ以降はダイヤ改正までそのスジはN700系での運転に変わる。

500系は1996年1月に量産先行車であるW1編成が落成し、翌1997年7月には量産車であるW2編成以降が落成し、1998年下半期までに9編成全てを揃えた。W1編成は営業運転開始までの間は長期にわたる走り込み耐久試験を実施、そして1997年3月の山陽新幹線内の「のぞみ」運用に入った時は毎日のように運用をこなしていた。そして1997年12月には500系による東京乗入れも開始され、これに従ってW2編成以降の量産車が同年7月より登場している。

それ以降、後輩の700系登場により500系は「のぞみ」として全盛期を迎えた。当初は東京〜博多間の定期「のぞみ」のうち2時間に1本は500系での運転であったのだが、N700系の台頭により次第に「のぞみ」はN700系に置換えられて500系充当の定期「のぞみ」は1日2往復にまで削減された。

そして500系も「のぞみ」からの撤退は現実のものとなる。2007年12月下旬には、普段は300系で運転されている岡山〜博多間の「こだま」に16両のW編成で運用に入った。そして0系の定期運用の最終日である2008年11月30日、0系充当の「こだま」の最終列車を追うようにしてW8編成が臨時「こだま」として代打で運用に入った。

やがて「のぞみ」の顔として活躍した500系が「こだま」として余生を送るのも現実の光景となった。2008年12月1日までに全9編成中5編成が8両編成となって山陽新幹線の「こだま」として営業運転を始めた。0系ではなく100系2編成も廃車となった。

そして2009年3月14日以降も16両で残る4編成(W1,W7〜W9)のうち、W1,W7,W8の3編成は2008年度中に全般検査を終えている。ただ2008年度より前に全般検査を受けているW9編成については11月9日の1往復の定期運用を終了するにあたって入場し、8両化されて「こだま」として営業運転に入る可能性が高くなっている。これによって全検切れの100系1編成が姿を消す事に・・・・。

500系は最終的にV2〜V9までの8編成が揃い、山陽新幹線の「こだま」として営業運転に入る事がほぼ確実となった。これにより全検切れの100系は最終的に5編成が廃車となってしまうことから、100系の引退も秒読みとなってきた。ただW1編成は改造対象から外される事が一部で報告されている。W1編成は量産車とは異なり、1年以上にわたる長期走り込みによる耐久試験等で酷使されてきた。人間と同様、酷使されてきた編成程寿命は縮まり、300系のようにガタが来ている編成もあるようだ。となればW1編成が改造対象から外されるということは、編成丸ごとでの廃車になるということも考えられなくはなくなる。実際300系でも1996年製のJ41編成や1997年製のJ43編成は既に廃車となっている。500系の方が300系よりも高速運転を行っていることからW1編成の廃車も有力になりそうだ。最終的に「レールスター」用700系も「こだま」に転用されることから2008年9月の地点での0系と100系の編成数を考えれば全てを改造させると3編成が余剰となってしまう。W1編成が改造対象から外れても2編成は余剰となる。

ただ短編成化改造されずに16両のまま全廃してしまう300系に比べ、500系が「こだま」として生き残ってくれる事は非常に嬉しい事である。



このT字型のパンタグラフはV編成ではシングルアーム型に取り替えられてしまうが、500系はまだまだ健在。これからの「こだま」のスターとして頑張る500系の姿は逞しい。



新大阪発のぞみ238号(C51編成)

まだまだ500系を撮影するチャンスはあるので、今度は通過する様子もバッチリ記録しておきたい。

posted by: 新幹線エキスパート | 新幹線 | 21:59 | comments(2) | trackbacks(1) |-
懐かしの113系電車の旅 横須賀〜品川間(横須賀線経由)

ここのところ学園祭の準備やその場での仕事等で、帰りが遅くなるやら翌朝は早起きする必要があるやわでどのブログの更新に手を付ける事もできずにいる。学園祭が終れば今まで通りの生活に戻るのでそれ以降は順調に更新できそうだ。

さて、25日の113系の旅も、ここでの公開がとうとう最後になった。あくまで旅の様子を伝えるのが最後となるだけであってこれ以降に1度、113系の車内や外観の様子を徹底的!? に公開していくのでまだまだ113系関連のネタは尽きない。ただその間に新幹線の撮影記を一度入れようと考えているところだ。



横須賀線で複線の部分はこの横須賀駅まで。ここから先久里浜駅までは全区間が単線区間である為、横須賀駅は2番線を当駅折り返し用、3番線を久里浜発着列車の発着スペースとして使用しているのだ。列車は横須賀駅で折り返す為、横須賀始発列車が入る2番線に到着、しばらくは久里浜へ行ったり久里浜から東京方面へ上ってきたりするE217系を眺めるのみであった。



横須賀駅3番線は上り、下り共に一つのホームを共用している。その為行き先表示も上りと下りが入り交じった状態になっている。



まず来たのは、成田空港行きエアポート成田。エアポート成田は毎時1本のみの運転。帯の色からしてまだ機器を更新していない編成だと断定できた。



成田空港行き発車、と思いきや、高校生2人組みが窓を開けて身をやや乗り出しているではないか。一応何らかの事情で駅間に長時間停車した際に車内の換気をする為に窓は開ける事ができる構造になっているが、窓から身を乗り出しながら眺めるとは、非常にマナーが悪く危険としか思えない。前に湘南新宿ラインに乗った時もE231系のBOX席の窓を開けて、犬が車から身を乗り出すような感じで高校生2人が頭を外に出していたし、更には車内を走り回ったり外に向かって何か叫んでいた。だから私は若者が嫌いなのだ。



しかも反対側は電光掲示が「調整中」になっている。

そして横須賀駅に20分程停車した後、列車はスカ色を先頭にして再び発車。



横須賀港。



フェリーや軍用船などが停泊していた。

そして旅は終盤を迎え、添乗員が窓に貼ってあった紙を次々と剥がし始めていった。ただその紙を簡単に捨ててしまうのは非常に勿体ない。鉄道ファンからすればどんなに些細な物であっても保存しておけば価値が高いものになる。なので私は添乗員にお願いし、窓に貼ってあったものの一部を貰う事になった。



まぁ普通の人からすれば単なる紙切れにすぎないとでも思っているのであろう。けどファンにとってはこれも大事な記念品であるのだ。この紙は現在も自宅にあるクリアファイルに閉じられている。



さて、列車は来た道を再び引き返していく。先程撮り逃した京急線との交差部分をきちんと帰りに記録しておいた。交差したのは京急逗子線の線路で、京急は神武寺〜新逗子間を通る際に横須賀線の線路と交差する。

実を言うと東逗子〜田浦間でも京急線と交差しており、京急は本線の京急田浦〜安針塚間にあたる。



先程来た道を引き返すついでに逗子駅に再び停車。



わずか1〜2分程度の停車であったがここで最後尾にいる女性の車掌さんにも注目してしまった。



この後、一つ先の鎌倉駅でも停車。



車内から鎌倉の市街地を眺める。





列車は上りホーム横にあるホームのない退避線に入った。この反対側には



江ノ電のホームがある。たまたま最後尾が屋根で被われている場所に停車した為、江ノ電のホームは残念ながら見る事ができなくなっている。



熱心に記録するファンの姿も多い。



鎌倉駅では後続の普通列車1本を待避。この普通列車が出発して3分後くらいに再び出発した。

そしてここからがラストの始まり。列車は次に大船駅5番線に一旦停車。



行きはここから2つ先の7番線に入線して方向を変えていた。113系にとってはこれが最後の途中停車となった。



東海道線ホームとも隣接しており、そちら側からの撮影者もちらほら見られた。

そして列車は大船駅を出発、ここから終着の品川駅まではどこにも停車せずに横須賀線の線路をひたすら走り続けた。113系がかつて活躍していたフィールドを走るのもこれが最後となった。



長旅の疲れからか、爆睡している旅人も増えてきた。さすがに車内で動き回ったりなどしていると疲れてくるであろう。私も正直言ってこの頃には疲れが出始めてきたがまだまだ記録するものは残っているので起き続けた。




相鉄平沼橋駅を通過。相鉄線だと平沼橋、西横浜の2駅はJRとの併走領域に入るのでJRの車両の撮影にも適している。私も平沼橋駅へ一度撮影に訪れた事のある身だ。





帰りは東海道線に転線することはなく、品川まで横須賀線を走り続けた。帰りは横浜駅は通過。写真を見てみるとかなりの勢いで通過していったように感じてしまう。



東神奈川駅。京浜東北線が停車する他、横浜線の基点の駅でもある。ただ横浜線は東神奈川止のものもあるが一部は京浜東北線に直通し、根岸線大船駅まで乗入れている。東神奈川終点というのも微妙なところだ。



鶴見川を渡って少し過ぎたあたりで東海道線と横須賀線が分岐していく。列車が走っているのは横須賀線だが、奥の地上部分を東海道線と京浜東北線が走る。更にその奥には東海道貨物線の線路もあった。



もう間もなく開業する予定の武蔵小杉新駅。現在までに下り線の線路切り替えが終了している(写真のE231系を参考に・・・)。今後はホーム設置工事などが行われる為に2010年内に仮開業、2011年には完全に開業する事が予定されている。



郊外部に見える2棟の高層ビルも目に入る。こちらはNECの玉川ルネッサンスシティで、地上26階建てのサウスタワーと地上37階のノウスタワーの2本が建っている。ちなみに港区にあるNEC本社ビルよりもこの玉川ルネッサンスシティービルの方が高さが高い。最大級のIT環境が整備されているビルである。



横須賀線は途中から東海道新幹線と併走する。併走するからこそ新幹線も車内から記録したいものだ。ただ最後尾が来る前にシャッターを押してしまった為にミスったと痛感してしまった。今回は300系のF編成とすれ違った。もう間もなく引退する車両同士がお互い顔を並べる結果に・・・。



多摩川を渡れば東京都。東京都まで来れば旅はもう終り。ここからしばらくは直線区間が続く。



西大井駅。この一つ先が品川なので、ここを通過すればもうゴールは近い。



湘南新宿ラインとの分岐点。湘南新宿ラインは西大井駅を少し過ぎるまで横須賀線の線路を通る。新宿方面へ向かう列車は横須賀線の下り本線を跨ぐ為、下り列車が接近すればなかなか前に進む事ができない。



車内でも間もなく品川到着のアナウンスが流れ始めた。車内にいる人々は次々と降りる支度を始めた。





山手線が見えればもう品川到着も同然。品川駅は臨時ホーム10番線に到着。東海道線の下りホームと隣接している。



到着後この113系は折り返し、東京総合車両センターに入庫する。後に方向幕も「団体」から「回送」に切り替えられ、到着から10分後くらいにファンに見守られながら出発していった。







品川到着後、113系が発車する動画を撮影することとなったのだが、113系が発車するまでの間には新型NEXのE259系が行き来する姿が目立つ。

そして隣の9番線にとあるディーゼル機関車がサプライズゲストとして登場した。



こちらはDE11。過去にブルトレの入換を行う際に使用されていたもの。この日はおそらく、東京総合車両センターに入場したのだろうか・・・?

これで113系の旅も一通り終り。次に向かったのは新幹線ホーム。

posted by: 新幹線エキスパート | JR東日本 | 21:05 | comments(0) | trackbacks(0) |-
懐かしの113系電車の旅 茅ヶ崎〜横須賀間

さて今週は1週間程かけ、25日に実際に乗車して取材した113系の旅についてお届けしている。ただ一気に取り上げると書いている私にとって大きな負担が伸し掛かるのである程度テーマを分けて記述している。今日は茅ヶ崎駅でのイベントを終えて再び列車に乗って移動する所からスタート。

茅ヶ崎発車は13:34。ライナーホームでは駅職員や商品を販売したスタッフらが列車に向かって手を振って見送っていた。温かく見送られて列車は大船へ・・・。列車は茅ヶ崎〜辻堂間で再び旅客線に転線、ここから先は大船駅まで東海道線を走行した。



またまた藤沢駅付近に差しかかった。相模大野方面から来た小田急3000形も113系を見届けつつ藤沢駅に進入する。

そして国府津へ向かっている際にも鎌倉車両センターに停泊していたE259系をかすめて撮影できたが、またせっかく戻ってくるということもあって、もう一度NEXの記録に挑戦することにした。



まずは旧来の253系。3両編成の0番台1次車は9月30日から10月1日にかけ、E259系と入れ替わるようにして営業運転から退いた。こちらに停泊していたのは6両編成で、0番台の2〜4次車と2002年のFIFAワールドカップ開催時の輸送力増強用に増備された200番台の5次車が在籍している。外見を見ただけではどうなのかははっきりと分からないが現在は形式問わず1ユニット6両編成で統一、最大12両編成で営業運転に入る。総武線沿線にいれば12両という長大編成で見掛けることとなり、3+3+3両の9両編成など、3両編成の定期運用はもう見られない。



続いて最新鋭のE259系。まさに21世紀の空港輸送ともいえるデザインになっており、外見は「スーパーカムイ」などに似ている。E259系は全て1ユニット6両で、3両編成は存在しない。10月1日の地点で1日10往復のNEX運用に入り、2010年6月頃まで全ての253系を置換える目的で増備は続く。

この鎌倉車両センターにはE217系や253系、E259系の他、横浜線の205系も在籍している。横浜線は一部列車が基点である東神奈川駅から京浜東北・根岸線に乗入れ、桜木町駅、磯子駅、更に最も遠くて大船駅まで直通運転している。過去に日中の横須賀線直通運用も存在、逗子駅まで乗入れていたのだが現在は既に廃止されている。



参考:横浜線205系(25日より前に撮影したもの)



鎌倉車両センターの横を通過した際にも、車両センターに入庫する253系と顔を合わせた。

そして大船駅進入直前、列車は横須賀線ホームに入る為、普段の営業運転では特別な事情を除いては通らない連絡線に入った。一番後よりその様子を撮影してみることに・・・。



東海道線の下り本線を跨いでからは車両基地から出庫する車両が通る線路と合流。このホームを通って7番線に入線。



大船駅は東海道線、横須賀線、根岸線、湘南モノレールの3路線が乗入れている。根岸線は当駅始発で京浜東北線の大宮駅まで直通する。横須賀線や宇都宮線直通の湘南新宿ラインの一部列車は当駅始発、東海道線の全ての普通列車や特急「踊り子」も停車する。また、湘南モノレールも発着することからこの駅は鎌倉、江ノ島への玄関口の駅の一つであるともいえよう。東海道線ホームの3,4番線にも少しだが撮影者はいた。



7,8番線の久里浜寄りには列車が停車する前から既にギャラリーが出来上がっていた。24日、25日の2日間は東海道線が久しぶりに熱くなった2日間であった。



その間に8番線に定期普通列車が入線。横須賀線の新旧の並びもここでは見られた。この定期列車に113系は先を譲った。



8番線に普通列車が到着したから!? か、ギャラリーにいる人の数が一気に増えたような気がした。列車はここから再び進行方向を変えて横須賀線に入線、横須賀駅まで乗入れる。ちなみに横須賀線は鎌倉への観光目的等で大船〜鎌倉間は何度も乗車しているのだがそこから先は終点の久里浜駅まで1度も乗車したことがない。今回の旅には私にとってもう一つの楽しみが含まれていた。



向かい側の列車は間もなく発車。座っている人も立っている人も、多くの人は113系がいない時と変らないまま。2〜3人くらいは注目していたかもしれない。もしかすると先回りの人が乗っていたりして・・・・。あり得ます。





京浜東北線E233系1000番台。今や85%〜90%の209系は既に置き換わっている。なので私は今となっては209系を見ると何故だか過剰に反応してしまう事が多い。いよいよ209→E233への置換えもラストスパートに突入した。

さてその後多くのファンに見送られながら、列車は大船駅を後にした。この後は途中、逗子駅のホーム横の留置線に15分程停車する。横須賀線内はスピードを出さず、ファンサービスとして低速走行。



大船〜北鎌倉間。奥に北鎌倉駅が見えるが、東海道線以上に沿線は113系を見送る撮影者などでいっぱい。きっと113系のイメージは多くの大人世代の人々の脳裏に焼きつかれているのだろう。



北鎌倉駅通過。この北鎌倉駅にはけんちん汁発祥の寺である建長寺をはじめ、禅の鎌倉五山を中心に多くの寺がある。近隣には中学校や高校も点在しており、通学客や観光客が多く利用している。上りホームの東京寄りには大きなギャラリーが出来上がっている。わざわざお疲れさまです。



続いて鎌倉の玄関口である鎌倉駅をこの列車は通過した。この駅では江ノ電との乗り換え駅で駅前には小町通り、そして近くには鳩サブレーの本店や鶴ヶ丘八幡宮があり、観光客で大きな賑わいを見せる。鎌倉へは私も観光で何度か訪れており、私が思う鎌倉は老舗などが集う趣深い町という印象が強い。ここから先は今回初めて通る区間。



このトンネルを抜けて



湘南新宿ラインを通り宇都宮線へ向かうE231系。現在、宇都宮線の宇都宮駅、小金井駅(平日朝に古河駅始発の列車もある)と横須賀線の大船駅、逗子駅まで湘南新宿ラインを介して直通運転が行われている。この区間ではスカ色のE217系と湘南色のE231系の2種類の車両を見る事ができる。



列車は逗子駅の3番線横の側線に一旦停車。逗子駅は2面3線の構造で1番線は上り列車のみ、2,3番線は湘南新宿ライン含む上り列車のうち始発列車と下り列車が発着する。湘南新宿ラインの列車は逗子駅から先へは乗入れず、当駅で折り返す。またここから先久里浜方へは15両で乗入れる事ができない為、15両編成で到着した横須賀行き、久里浜行きの全ての列車は当駅で基本編成と付属編成を切り離し、ここから先は基本11両もしくは付属4両が単体で乗入れる。



こちらはエアポート成田、成田空港行きに充当されているE217系。しかも更新車。エアポート成田は毎時1本のみの運転。当駅で基本編成の後寄りに付属編成4両を増結する。E217系はVVVFインバーターの交換などの更新工事を、2011年度までに全ての編成に施行する計画だ。品川〜錦糸町間の地下区間への乗入れも考慮し、全面に非常用貫通扉を設けているのもポイントの一つだ。



ここでは15分程停車。ここで湘南色4号車とスカ色5号車との間の通路が解放され、相互自由に行き来することができるようになった。なのでスカ色の編成に乗車していた人が車両を渡りここまで来るシーンも幾度か見られた。



3番線に逗子止の湘南新宿ラインの列車が到着。1号車の先端部より多くの客が下りようとしている。



3番線に到着した列車から降りた客が混ざって、一気にギャラリーは大きくなっていった。今や最後に残った房総地区からも消えようとしている113系をファンは熱心に記録に収めている。





当駅で基本編成の後に連結するE217系の付属4両編成。東海道線の場合、熱海寄りから基本10両、付属5両の順に連結しているが横須賀線はその逆で久里浜寄りから付属4両、基本11両の順に連結している。113系時代もそうであったが、横須賀線が付属編成を基本編成の久里浜寄りに連結する理由は逗子駅にある付属編成の留置線が久里浜寄りにある為であるからだ。別に付属編成を先に入れて後から基本編成を動かして増結するというやり方も悪くはないが、やはり少しでも多くの客を乗せる為に空の付属編成を動かして基本編成とドッキングさせるやり方の方が都合がいいのだろう。



1番線に入る11両編成と2番線から発車した4両編成との離合。横須賀線開業120周年記念ヘッドプレートを取り付けられている編成は1番線に入線、上で紹介した付属4両編成を後に連結する。また付属4両が久里浜駅まで乗入れる事もある。東京方面からの久里浜行きの列車でも、逗子駅から先は基本11両が先へ行く場合もあれば、付属4両が行く場合もある。また、逗子止の列車と接続する目的で逗子〜久里浜間を走る区間普通列車も4両編成で運転される。



待機していた付属4両編成が1番線にゆっくりと進入していく。ここで増結作業が行われ、ドッキングしてから再び東京方面へ向かう。そして横須賀コースの参加者らが湘南色の編成に乗り込んできて一番前でカメラを構え始めた。



カメラを少しでもガラスに引っ付ければピンぼけする可能性は低い。ただ113系は走行中結構揺れるので揺れの反動によってブレてしまうこともよくあった。今度は手ブレ防止のデジカメを買おうかと検討している。

そして次の撮影者は三脚を立て、入念な準備をして撮影に臨んでいた。その入念な準備の一部始終はというと・・・



窓についている手アカなどを徹底的に拭き取っている。やはりいい作品を作るには1箇所の手アカもあってはならないのだ。



そして後半は三脚付きの撮影に入っている。鉄道ファンは男性の比率が高く、今回の113系に乗っていた人も90〜95%が男性客であった。その中でも私のような若者は数えられる程しかおらず、中年の人の方が多かった。

発車前までに横須賀コース参加者らは再びスカ色の編成へ戻っていった。



113系発車の際にも3番線停車中のE231系は不動のまま。東海道の新旧の並びを実現させてくれたE231系に見送られて列車は一路横須賀へ向かう。



京急バス逗子営業所。この辺りに京急線の金沢八景駅近くにある東急車輌の工場へ繋がる全長約6km程の線路があり、落成した新型車両が搬出される際に使用されている。私鉄の車両は主に機関車による配給形式で輸送される事が多いのだが、JRの車両は新製されてから初試運転の際に横須賀線の線路を走る。中央線、京浜東北線の東急製のE233系も初試運転の際は横須賀線を自力走行したものだ。



留置線に並ぶ2本のE217系。いずれも基本編成の後に繋ぐ付属4両編成である。

この後は東逗子、田浦の2駅を通過して横須賀駅に至る。



こちらは東逗子駅。2面2線のこの駅にも113系を待ち構えるファンがいた。定期列車のE217系とすれ違う。





ここから先はトンネルの数も多くなっており、ローカルムードが漂い始めてくる。この区間は最大11両までの列車が入る事ができる。奥には港が見えはじめてくる。



さてこちらの直線上のトンネルを通過すると一気に田浦駅へ出る。



田浦通過。田浦駅は横須賀線の駅の中では利用者が最も少ない。この田浦駅のホームはトンネルが両端を挟み込む形になっている。更に田浦駅の有効停車長は10両で、11両で来る列車は上りでは11号車、下りでは1号車のドアを開ける事ができない為にドアカットを実施している。また上り、下り共前から2両目の車両(下りは2号車、上りは10号車)の1番ドアについてもドアカットの対象として含まれているのだ。近くには田浦梅林があり、春先には多くの観光客が訪れる。また、プロ野球のセ・リーグ球団である横浜ベイスターズの練習場もこの田浦駅の近くにある。

田浦駅を通過してから約3分程すると左手に横須賀港が見える(帰りに撮影したので次回の更新時に公開予定)。そして列車は、横須賀駅の2番線に入線した。



横須賀駅でも多くの撮影者がホーム先端を埋めつくしている。ちなみにかつては1番線もあったが現在は1番線は抹消されている。



2番線の先端には車止めがある。横須賀駅から先は終点の久里浜駅までは単線区間となる。久里浜駅へ向かう列車はこの隣の3番線を発着する。この2番線は横須賀始発列車が停車する為のホームとして活用されているのだ。

横須賀駅ではドアは開かなかったが列車は20分程停車。当駅で再び方向を変え、最後は品川駅までひたすら走るのみ。次回は横須賀〜品川間の移動の様子を伝えていく。

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懐かしの113系電車の旅 茅ヶ崎駅ライナーホームでのイベント

さて、今週このブログでは、私が25日に実際に乗車して取材した懐かしの113系電車の旅についてお届けしていくことに・・・。

前回の更新ではまず東京駅を出発してから横浜、国府津の2箇所で15〜20分程停車、国府津で引き返して茅ヶ崎へ向かう所までを話した。そして今回は列車が茅ヶ崎駅に到着してからの90分の出来事を公開していく。



私が乗車していた車両は国府津から最後尾に・・・。最後尾には車掌が乗務しており、茅ヶ崎駅到着に近付くと乗務していた車掌がアナウンス。「この列車は13:34に出発します。また、12:15から13:15までの1時間は1号車寄りの階段からコンコースに行く事ができます。」

階段近くにいるスタッフに申請し、一時通行証を受け取ればコンコースに出る事はできる。ただし改札の外に出るとこれ以降の旅は無効になってしまうが私の場合は通学定期を使って改札口を通る事ができる。なので後の買い物でその改札口を1度通った。ある意味特権。



茅ヶ崎駅はE231系が停車中の旅客線ホームの横の、貨物線に設置されているライナーホームに停車。このライナーホームには平日朝夜に運転され、なおかつ貨物線経由で運転される「おはようライナー新宿」「ホームライナー小田原」の全列車と「湘南ライナー」の一部が停車している。貨物線という事は本来は貨物列車がバコバコ通過していくホームである。



このホームに113系が、しかも90分という長い時間停車する。その間にも下りの貨物列車は通過していくが、上りの貨物列車は運用を止めていたみたいだ。このライナーホームでは参加者限定のグッズ販売や撮影会が行われた。



113系に乗る旅人を、3人の女性職員が温かく迎え入れてくれた。



3人の女性職員との並びは湘南色の先端部分でしか撮影できない。10分してから彼女達は



その場からは撤収してホーム中央部へ移動した。私も彼女達の後をついて歩いた(別にストーカーではありません)。そして次なる彼女達の仕事は



乗車したファンの方々に記念乗車証を配る事。一部の男性職員もこの場に混じっていた。そして記念乗車証の配布だけでなく、茅ヶ崎駅の記念スタンプを押す事もできたのだ。ちなみに今日は終日ライナーは運休な為、このホームは113系の停車以外は貨物列車が通過していくのみ。

茅ヶ崎駅では90分という長い時間停車していた。まずは販売していたグッズを買い、一旦車内に戻って自分が座る席に荷物を置いて今度は113系をじっくり撮影することにした。





上が湘南色、下がスカ色。113系は国鉄期の近郊型車両の礎を築いた形式である。その兄弟車にローカル線の急勾配にも対応できる115系がある。東京圏ではこの東海道線と横須賀・総武線で113系は活躍し、当時はラッシュ輸送まで多くの人々を都心へ送り込んでいた身だ。今回、209系の投入により2週間おきに廃車回送が行われている113系、その存在意義を再認識できた一日だった。





ヘッドプレートも単独で記録。今年は東海道線東京〜国府津間、横須賀線東京〜横須賀間は開業から120年を迎える。また今年は横浜開港150周年記念でもある。



湘南色とスカ色との連結部分。連結部の間には幌が取り付けられているのだが、相互の通り抜けはできない。この混結は異色だと思う人も多いではあろうが、実際房総での定期運用で普通にスカ色と湘南色の併結は見られる。つい最近では新聞列車として両国まで訪れた。





今回は団体ツアーなので行き先表示は「団体」

また、茅ヶ崎駅での停車時間には、湘南色の1号車にプレートもどきが取り付けられた。出発時間には外されてしまったが、これもファンサービスの一つだ。







こちらの弁当の包み紙は私が貼ったもの。昨日、この箇所の窓際を閉めていたという事に触れたが、窓際をしめた理由はこれ。



さてこの後は、ファン向けの幕回しが行われるがその前に私は一旦、コンコースへ引き上げた。その間にトイレへ行き、続いては相模線のホームへ向かった。



スカ色の113系と並んだ相模線205系。相模線はここ茅ヶ崎駅と橋本駅を結ぶ幹線路線で、一部列車が横浜線に直通して八王子駅まで乗入れている。使用される車両は4両編成の205系500番台。205系としては京葉線、武蔵野線のメルヘン顔のようなオリジナル顔を持つ形式でもある。

相模線は実を言うと、八高線と並んで関東の路線としては電化が遅れた路線でもあった。相模線が電化されたのが1991年。当時はキハ35形気動車が相模線の主力として活躍している。八高線も1996年に八王子〜高麗川間が電化されたが、今でも高麗川〜高崎間は非電化のままである。





こちらの205系500番台には寒冷地向け対策がなされているのも特徴の一つ。それは



ドアの半自動機能である。外側と内側からボタンを押してドアを開け閉め。



こちらは運転席。205系としてはこの500番台が新造最終グループに属しており、JR発足後らしく、運転席横に大型のモニターが搭載されている。ここから113系を見ると、まるでまだまだ現役で走っていそうな雰囲気に浸ってしまう。



205系は来年より京葉線と武蔵野線の一部編成から順次置換えが開始されるが、この相模線の500番台については当面の間は置換えられる計画というものはない。

そしてその先の分の食料や飲料を買い足した後、再びライナーホームへ戻り、113系の撮影に戻った。とりあえず車内にある私の席に買った物を置いてちょっと座って一休みと言いたいところだが・・・



私が座っている前には大勢のファンが・・・。



運転台を解放していた。撮影の為である。



こちらは運転台上にある幕を回す際に参照する表。今は使用されていない「横須賀・総武線」や「逗子」などの幕が残されており、湘南色でありながらスカ色の名残が残されている。ちなみにこの編成の真中2両は東海道線からの転用車なのだとか・・・・。

そしてここから先は幕回しのオンパレード。



回送



特別快速

そしてここから先は普段は用いられていないものまで登場する。この特別快速も普段は使用されない幕の一枚である。









内房線列車の幕は紺地。この内房線では113系は今でも健在だ。

ちなみに外房線・東金線は赤地で総武本線は黄地。211系と統一されている。ちなみに普段は使われることのないこんな幕まで登場した。



緑地の「我孫子(Abiko)」。現在、成田線の成田〜我孫子間は常磐線快速で使用される直流専用車のE231系が運用に入る。113系が運用に入ることはない。



茅ヶ崎駅はツアー参加者以外の人は皆、旅客線ホームで撮影している。下りのE231系も入線してきた。

茅ヶ崎駅でのひとときはあっという間に過ぎてしまった。そして定刻13:34、私を乗せた113系は再び東へ走っていく。次の停車駅は大船。次回は茅ヶ崎〜大船間と横須賀線の移動の様子を公開する。

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懐かしの113系電車の旅 東京〜茅ヶ崎間編(国府津経由)

さて、今日私は113系に乗った。

東海道線から113系が引退したのは2006年3月17日を以って引退、以降は211系、E231系、E217系が東海道線を支える形となり、更に2008年3月7日に新たにE233系も加わった。まさに東京都心は性能の良い新型車両ばかりになってしまった。

だが現在も関東地区で唯一113系が残存している地区がある。それは房総だ。房総の路線は内房線、外房線、総武本線、東金線、成田線、鹿島線。その区間では幕張車両センターに在籍するスカ色の113系が活躍している。が、東海道線運用から撤退した編成のうち状態のいいもの、車齢の若いものが国府津から転属して幕張の初期車が置換えられ、更に高崎から211系が転属、これにより一部の113系に置換えの矢が飛んだ。そして今回、10月1日より営業運転を開始した京浜東北線からの転属車である209系により、113系と211系に置換えの矢が飛んだ。2形式は全て房総から姿を消し、113系は全廃、211系は中央本線に転属してしまう。

そして房総では、113系の引退に合わせて4両編成、6両編成各1編成ずつをスカ色から湘南色に変更した。そして今回のなつかしの113系電車の旅の臨時列車に充当されたのはマリ117編成(湘南色)とマリ205編成(スカ色)の2編成。2編成は連結して同時に運転された。同じ幕張車両センター所属だが、申し込みの際は東海道コース、横須賀コースと分けられる。東海道コースに申し込んだ人は湘南色、横須賀コースに申し込んだ人はスカ色の編成に乗車することができる。私はよく東海道線でこの113系を見ていた身だったので東海道コースに申し込んだ。私はとある人が予約をキャンセルした事から予約が成立した人の一人である。

さて今朝は三島朝6:50頃の普通列車に乗り、熱海経由で東京へ向かった。



東京駅に着いてからは再び逆戻りする形になるが、ひとまず211系で東上する。新宿方面へ向かうE231系と横浜駅を出発してから3分程併走した。

東京駅に着いたのは9:05頃。113系の発車は9:50頃なのでとりあえずホームから下りてトイレ、お菓子や飲み物の買い出し等を済ませて10番線へ・・・。この日は母が浜松町でのデパートの倉庫セール(倉庫の販売ではなくて商品大放出セールという意味)に行く為に東京に来ていた。当初は普通列車で行くと言っていたのに母も113系を携帯電話で撮りたかった為に私より1時間近く遅れて新幹線で追っかけてきた。

とりあえずグランスタで落ち合い、10番線へ移動。10番線ではE2系のオンパレードを拝めたがこれに関してはもう少し後でお送りする。

今朝、品川駅を出てからすぐの場所にある田町車両センターに113系4+4両が停泊している姿が見えた。私が乗る列車はコレだなと思い胸を膨らませながら東京駅へ向かった。そして9:25頃、田町車両センターから出庫してきたあの列車が東京駅10番線に姿を表した。

ここから先はピンぼけの写真も多いのでお見苦しい点があると思いますがご了承下さい。



スカ色を先頭とし、この後に湘南色が繋がっている。国府津寄りから前4両が湘南色、後4両がスカ色である。



6年くらい前は東海道線といえばこの形式。211系も混在していたがこの113系は当たり前のように見る事ができたのだが、2004年10月に国府津車両センターに新製のE231系の配置を開始した事からこの113系は次々と姿を消した。



私は1号車に乗車。自由ではなく乗車する号車はきちんと指定されているのだ。ちなみにこの紙は乗務員の方にお願いして横須賀コースの物と共に貰う事ができた。



本当に見辛くてすまない。

そして一緒にいた母にカメラを渡してから私は一旦車内へ・・・。



モードを間違えたのか・・・・。これは母が撮影したもの。まぁ少しボケているがはっきりと写っているのが分かる。行き先表示は「団体」。ホームの電光掲示板にもこう記してあった。



10番線の案内板は上に赤字で「団体」、下に緑字で「回送」と書かれている。ちなみに「団体」は英語にするとPartyだ。THE BLUE HEARTSの曲のタイトルにもあったような・・・・。



私は一人での乗車なので、運転席真後ろのベンチシートに座る事に・・・。当初はライナーみたく座席定員制で1号車の座席が全て埋るのかと思っていたのだが結局は私の横には誰も座らず、しかも空席まであった。



こちらの座席は最終的に空席となり、私の荷物置きとして使用される運命にあった。しかも窓際を半分以上閉めている。こう閉めているのにはとある理由があるので詳しくは後程・・・・。



乗客は階段を渡って行く必要がある8番線には、E231系充当の普通列車が停車していた。現在の東海道線の主力車種はこのE231系。E231系は東海道線の東京〜沼津・伊東間の運用の他、東海道ー高崎系統の湘南新宿ライン、更には上野口運用にも入る言わばタレント的形式である。運用開始から今年で5年を迎えたがまだまだ働き盛りの車両である。



丸の内側。丸の内は現在でも再開発が続いており、東京駅周辺には大手企業の本社などが集結している。このようにホームから高層オフィスビルが見える。ただ今日は休日なので、明かりが付いている所は少ない。



空席があるとはいっても、さすがにBOX席は埋った。ただBOX席は一人での利用にはあまりにも勿体なさすぎる。家族連れや友人、カップルの利用も多く、男性ばかりの空間に女性が入ってくるとついつい注目してしまった。

そして定刻9:50、113系は東京駅を出発し、一路国府津駅へ向かった。母はホームでこの列車を見送った後に浜松町へ向かった。我々乗客が車外に出られるのは茅ヶ崎駅のみ、その他の場所に停車してもドアは開かず、我々はずっと車内の中にいただけだった。



東海道線は特急とライナーを除いて全ての列車が停車する新橋駅だが、113系は通過。東海道線の線路と添うようにして新幹線の線路がやや高い位置にあり、列車の中から見上げれば新幹線を見る事ができる。実際に撮影とまでいくと少し限界があるような気がするのだが、こちらはN700系であった。



浜松町付近。この付近には高層オフィスビルや高層マンションが立ち並んでいる。横に東京モノレールの線が見える。新幹線と東海道線の線路の位置がここで一旦、一致する。



一方、反対側では、京浜東北線のE233系と併走。113系に乗っている側の人は行きちがう車両や併走する車両を見ても普段電車に乗るような感覚で見続けるのだが、相手の車両に乗っている側の人はいったいこの113系を見てどう思ったのだろうか。私だったら驚嘆してバッグからデジカメを急いで取り出して後を撮るが、果たして113系が既に房総地区でしか走っていないと知っている人はどれくらいいるのだろうか・・・?

そして朝も通った田町車両センターを通る。ただ朝通った時に一つ気になった事があった。それは3両編成の253系が疎開していたということ。4編成が連結された状態で停車していたのでおそらく国府津に疎開した編成が田町に再度疎開したのではないかと思われる。



特急「成田エクスプレス」で活躍した253系のうち、3両編成は運用開始当初の1991年頃に製造された0番台の1次車。2次車以降は全車6両編成で製造されている。10月1日に新型車両であるE259系が営業運転を開始すると、早くも3両編成の253系が運用を離脱。国府津、中野、豊田の3箇所に疎開回送され、このうち国府津には9月30日夜に4編成が疎開された。その後E259系が国府津に疎開されそれと入れ替わるようにして253系3両編成4本が鎌倉車両センターに一旦疎開したのだが、その後に田町に疎開されたのだろうか・・・??

これ以降、「成田エクスプレス」の運用に入る編成は253系、E259系問わず1ユニット6両とし、最大12両編成で運転されることとなっている。総武線内は必ず12両だ。6両編成の253系も2010年6月頃までに全てE259系に置換えられる予定である。



東京発着の唯一の寝台特急列車となった「サンライズ瀬戸・出雲」。1998年に登場した所謂電車タイプの寝台列車である。東京出発は22:00。まだ昼前なので点検を受けているところと思われる。

間もなく、品川駅を通過。



地下からニョキッと現れたE217系。



品川駅は行きは通過するのだが、帰りのゴールとなる駅であるので6時間後くらいにはここに降り立つこととなる。

そして車内アナウンスで、「間もなく東海道コース1号車にご参加の方々、4号車にてお持ちのバウチャー券とお弁当、オリジナル懐中時計との引き換えを行います」と流れた。私はi-podで音楽を聴いていたのでアナウンスははっきりと聞き取れなかったけど、周りの人の動きを見て私も4号車へ移動することに・・・。



こちらは弁当、懐中時計を引き取る人達の行列。この地点では湘南色とスカ色の編成の間の通り抜けはできなかった。



奥にいるJR東日本横浜支社の職員が弁当、懐中時計を配布していた。



一応、窓は開きます。



209系を撮ろうとしたのだが、タイミングをミスった為に失敗。写真右奥あたりにかすんでいるのみ。今や京浜東北線の209系は稀少である為に是非とも記録できるだけ記録しておきたいと私は思うのだが、見掛けても記録に失敗する事の方が多い。



列車は、東京都と神奈川県の境界である多摩川の陸橋を通過。川を渡った先は川崎市で、川崎駅はもうすぐ。だけど通過だ。



反対側もついでに撮影。京急の車両が留置されている。京急は多摩川の陸橋に、京急川崎止の列車が一旦引き上げる為の引き上げ線があったような気がする。

そして川崎駅を通過して7分程で、神奈川県の中枢都市である横浜へ・・・。電車はポイントに入り横浜駅の5番線に到着した。



今日は生憎の雨に見舞われた。実は昨日も関東地区は雨だったらしく、113系は2日連続で天気の悪い中を走る事となった。雨の水滴が窓ガラスを下り続ける中でも、沢山のギャラリーにいる人が見える。

東京〜横浜間では新橋、品川、川崎の3駅では撮影者はあまりおらず、東海道線が停車しない浜松町や新子安(京浜東北線の駅)などでカメラを構えている人の方が多かった。横浜駅は寝台特急「はやぶさ・富士」の最終上り列車が発車する際に沢山の撮影者がホームを埋めつくし、一般客が電車に乗れない程までに至った。あの日の東京駅も凄い熱狂的だったが、今日の東京駅もそれには劣らない程の熱狂ぶりだった。



横浜駅はJR東日本の駅における一日の乗降者数が新宿、池袋、渋谷に注ぐ第4位にランクインしており、東京、品川の2駅が順に横浜の次に続く。言ってみれば東京駅よりも多い。



京浜東北線、根岸線ホームの横に113系が停車した。こちら側(3,4番線)にも撮影者はそれなりにいた。横浜駅で113系は



熱海行きの普通列車(E231系)1本と



特急「踊り子」

を先に通した。113系はスローペースで走行する為、もし後に定期列車がついて走っていたら後続の列車に遅れが生じることとなる。これ以降も普通列車の待ち合わせは鎌倉駅などで行われている。



9番線に到着した小田原行きの特別快速と同時に113系も出発。相鉄の平沼橋駅あたりまで併走した。



この先は国府津駅までノンストップ。大船駅は後に横須賀線へ入る際に折り返しの為に停車する。



大船駅の近くには、鎌倉車両センターがある。ここにはE217系の他、横浜線205系、NEX用253系、E259系が在籍している。やや明るくなりすぎたが鎌倉車両センターから出庫するE217系。



逆に入庫するE217系にも遭遇。



新型NEXのE259系も上手く先頭部分が入った。



藤沢駅を通過。小田急へ乗り換え可能である他、鎌倉への玄関口でもあり江ノ電も発着する。小田急のホームには3000形が停車中。4000形に次いで新しく、まさに近代的ともいえる。



辻堂〜茅ヶ崎間で列車は旅客線から貨物線に転線。貨物線にホームがあるのは藤沢と茅ヶ崎の2駅で、定期列車はライナーの一部列車が発着するのみ。



茅ヶ崎駅を通過。一般客を乗せて東京へ向かうE217系の横をスピードを上げて通過。E217系は113系が完全に引退してから営業運転を開始したので、試運転の時を除いては113系と顔を合わせる事はなく、今回久しぶりに東海道線で新旧対面した。



茅ヶ崎駅のこのライナーホームでは後にグッズ販売等が行われる。ただ列車は一旦国府津まで行き、国府津で方向を変えて再び茅ヶ崎駅に向かう。その時に停車してドアが開く。

私もこのあたりでそろそろ弁当を食べることにした。



中身は普通の幕の内弁当であるが、113系の旅を記念して東海道線、横須賀線で活躍していた頃の113系の写真を印刷した紙に包まれている。



中には魚、肉が半々ずつはいっている。がんもどきや漬け物も・・・・。

とりあえず国府津到着までに平らげた。

そして列車は国府津に到着。直接ホームには入らず、貨物線に挟まれた留置線に一旦停車した。



ホームから2線程離れた場所に停車。東京寄りの先頭は既にギャラリー化。





今日に限って、この時間に国府津駅を発車する上りの定期列車は全て4番線を発着。5番線を発着する列車は1本もなかった。やはりファンサービスともいえよう。

さて20分後、列車は進行方向を変えて国府津を後にした。茅ヶ崎駅はライナーホームに到着する為、列車は引き続き貨物線を東上した。



沢山のファンに見送られながら列車は国府津を出発。私が乗車する車両はここから最後尾になる。



平塚駅を通過する際、隣にいる251系「スーパービュー踊り子」に追越された。果たしてこの「スーパービュー踊り子」に乗っていた乗客はこの列車に注目していたのだろうか?



国府津を出てから20分程で茅ヶ崎到着。茅ヶ崎駅では90分停車し、グッズ販売や車両撮影会などが行われる。ここから先は次回お届けしようと思う。

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朝の三島車両所

私が住んでいるマンションからは、新幹線の三島車両所を丸ごと拝む事ができる。今朝もエレベーターを待っている間にカバンの中からカメラを引き出して留置線を撮影してみた。



この奥に300系1編成と700系2編成が停泊している。ちなみに撮影した時間は朝の7:00頃でこの時間から東京方面への通勤・通学客で三島駅は混み合う。在来線から新幹線への乗り換え客も多いので私は朝は新幹線に向かう客を掻き分けながらホームへ向かっているのだ。これらの編成はこれから始発列車となって東京へ向かう列車。

ここに停泊する列車達は三島始発の列車に充当されるものだけでなく、静岡駅や浜松駅まで送り込まれてこの2駅を始発とする列車に充当されるものも一夜を明かす。最近ではその90%が700系での運転になり、300系がこの場で停泊する姿はなかなか拝めなくなった。あと「こだま」にN700系も進出したことから、終電明けから初電が発車するくらいの時間までN700系もこの場で停泊する。

この三島車両所には車両の整備場もあり、東海道線、新幹線のホームから建物を拝む事ができる。この車両所に所属する編成はなく、東海道新幹線を走る編成は全て大井、鳥飼、博多の3箇所いずれかに在籍している。

さて、21日発売の雑誌「鉄道ファン」の特集は新幹線最前線2010。N700系の登場による世代交代や400系「つばさ」の引退、更には100系や200系の現状などについて取り上げているので新幹線好きの方は要チェックだ。

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埼京線205系



昨夜、渋谷駅でホームライナー小田原21号が来るまで20分程ホームにいたので、暇がてら練習として撮影してみた。

ただ未だに手ブレが多いことや夜になると走行体を撮ると必ずブレることについてはちょっとした怒りを覚えてくる。

渋谷19:32発のりんかい線直通新木場行き。38分発のホームライナー小田原21号はこの後に到着する。



ドア窓が小窓なので、元ヤテ車だ。ちなみに6扉車を連結していない205系だった。

普段だとこの時間の新木場行きには、TWR70-000系がやって来るのだが、今日は代走なのか205系であった。



横を走る山手線が何故か緊急停止。実は一つ先の恵比寿駅で急病人が発生、救護活動を行った為山手線、湘南新宿ライン、埼京線は一旦、運転を見合わせた。





埼京線を走る205系は全ての編成にLED行き先表示を搭載している。E217系のような固定表示型ではなくこのように路線名と行き先がスクロールする形になっている。しかも6扉車にも小さなLED行き先表示が付いているので、かなり特徴があるといえる。



湘南新宿ラインは朝の上りは満員、夕方・夜間の下りでも最低でも座席が埋るとか、立ち客がちらほら見られるといった混雑はあるが、りんかい線は朝の上り列車でさえ座席は全て埋らず、立ち客もちらほらいる程度で満員電車並みの混雑にはならない。渋谷駅から乗っても心配する事なく着席できるのが嬉しい。だがりんかい線は運賃が高いので新木場駅までは地下鉄を利用する人の方が多い。

埼京線を走る205系の多くは6扉車を1編成あたり2両組み込んでいるが、一部オール4扉で構成された205系もある。また、TWR70-000系には6扉車を組み込んでおらず、全ての編成オール4扉で構成されている。

こんどこのライナーを利用する時は、暗闇の中でもいい作品を残す為の練習として沢山撮影してみることにしよう。手ブレ防止のデジカメがあればいいのだが・・・・。

posted by: 新幹線エキスパート | JR東日本 | 13:48 | comments(0) | trackbacks(0) |-
東急8500系

東急8500系は1975年から1991年にかけて製造された形式で、現在、東急の路線では田園都市線と大井町線の2路線で活躍している。田園都市線の編成は半蔵門線、東武伊勢崎線、東武日光線にも乗入れている。また一部編成は長野電鉄、秩父鉄道、インドネシアにも譲渡されて現在も現地で引き続き活躍を続けている。



8500系はある意味ボロ車だが、加速する時の走行音がいい。何しろ一気に這い上がるようなイメージを思い起こさせられる。田園都市線には最新型の5000系の他、8500系や東武乗入れ非対応車の2000系や8590系が在籍している。2000系は東横線の9000系に似ており、8590系は現在は大井町線でも活躍している。また乗入れ先の半蔵門線の車両である08系や8000系、東武鉄道の30000系や50050系も東急の領域に乗入れているので、非常にバラエティーに富んだ路線であるのに関らず、私が田園都市線や半蔵門線を利用する時は今までほとんど8500系ばかりに遭遇していたのだ。写真は三軒茶屋駅で撮影した各停、押上行き。

ただ今日取り上げるのはこのシンプル塗装の編成ではなく、こちら。



渋谷駅で撮影したこの8500系は、私がいつも目にするこいつと塗装が同じだ。



記事にする為、帰り際に熱海駅で慌てて撮影した伊豆急8000系。この8000系は製造初年度が1969年。東急電鉄からは2008年1月13日の東横線でのさよなら運転を以って全車が引退している。一部は伊豆急行、インドネシアに譲渡されて2つの大きな部署で引き続き活躍している。伊豆急行も海沿いを走る為、塩害による被害が少ないステンレス車が必要となった為、東急のお下がりを貰ったのだ。今度明るい時間に撮影した時は車内まで徹底的に記録、その時にここで詳しく紹介する。

さて、本題に戻る。この8500系は「伊豆のなつ号」と呼ばれており、この色に塗装変更されたのはこの8614Fの1編成しかない。「伊豆のなつ号」として運転を開始したのが2005年。その当時は東横線に在籍していた8000系8007Fにその塗装を施して渋谷〜元町・中華街間の全区間で活躍した。8007Fは同年6月に5050系に置換えられて運用を離脱していたが、一時的な復活を遂げた。この編成は後にインドネシアに輸出されて現在も現地で活躍している。

そして翌年2006年から、田園都市線に在籍する8500系にその塗装を施し、田園都市線から東武線の非常に長い区間で活躍した。2007年には「伊豆のなつ」号が運転されなかったが2008年に復活。だがキャンペーン終了後も塗装は伊豆急8000系に準じたまま営業運転に使用されている。

現在は秋が深まり、朝夕はやや肌寒い気候になってきたが、撮影したのが9月26日ということもあり、まだまだ長袖1枚着れば十分乗り越えられる暖かい、どちらかと言うと暑い気候だった。なのでまだ夏の名残は溶けていなかったからその「伊豆のなつ」号のドア横の広告を見ても何気に新鮮味を感じた。



伊豆急行は実を言うと東急電鉄の子会社の一つ。線内運用で使用される形式が同じことから熱海〜伊豆急下田間を伊豆急行線と思ってしまう人もいるだろうが実は熱海〜伊東間はJR東日本の区間でSuicaエリア内である。残りの伊東〜伊豆急下田間が伊豆急行という会社が管轄する区間なのだ。実際、伊豆急下田〜熱海間の線内運用は全て伊豆急行の車両で運転されており、JR東日本の211系とE231系、更に特急「踊り子」の185系や特急「スーパービュー踊り子」の251系は線内運用には入らず、全て東京直通運用に入る。

中央林間寄りの先頭車には、伊豆急行の黒船電車のPRの広告が刷り込まれている。ある意味、鉄道会社間の競争は大会社だけでなくその系列企業にまで客を呼び込む事も重要なのだろうか・・・・。

今度田園都市線や半蔵門線に乗る時は8500系以外の車両にも乗ってみたいものだ。

posted by: 新幹線エキスパート | 東急電鉄 | 23:46 | comments(0) | trackbacks(0) |-
都営バス写真集

今日は先月26に、東京都中央区晴海にある晴海埠頭で行われたバスの日イベントに行った際に、展示車以外のものも撮影したのでそれを一挙に放出する。それ以外にも渋谷で撮影したものが一部含まれるが、今回はラッピングバスも見物である。基本的に解説は省略するが必要に応じて順次書き足していく。

参考:9月26日付け記事
http://panorama-view.jugem.jp/?eid=126#comments













東京、ついに2016年開催夏季オリンピック・パラリンピック招致活動の結果が報われず、敗退してしまった。近くには東京でオリンピック・パラリンピック開催時に使用するオリンピックスタジアムを建設する為の用地が既に確保されていたものの、遂に水の泡になってしまった。今だから貴重なオリンピックのラッピングバス。

さて、都営バスでもハイブリッド仕様の車両が次々と登場している中、ハイブリッド車とはまた違う環境に配慮した車両がある。それはCNG=天然ガスを燃料として走るバスである。



こちらの三菱ふそうエアロスターノンステップがその一つ。





車両の上には大きな箱らしき物体が乗っかっているではないか。実はこれ、CNGエンジンを搭載する車両には欠かせないものである。この中には主止弁、逆止弁の他、燃料電池配管の先端部である。また、燃料充填口が箱中に2箇所に設置されている(ISUZUのHPを見て調べた)。

私としては知識がまだ浅はかで、自力で説明できるのにもやや限界があるので、興味のある方は下にあるISUZUのHPにアクセスして詳しく調べて下さい。

http://www.isuzu.co.jp/product/bus/eco/cng.html





最後に、渋谷のスクランブル交差点に堂々と入ってくる日野ブルーリボンのバス。ちなみにこの渋66系統は京王バスと共同運行を行っている系統で、渋谷駅と阿佐ヶ谷駅を結ぶ。

posted by: 新幹線エキスパート | 東京都交通局 | 21:09 | comments(0) | trackbacks(0) |-
9月27日

さて、この日は荒川車庫での都電のイベントに出かけ、帰り際に東武東上線の和光市駅へ出向き、撮影をして副都心線全線を乗りとおした。カテゴリーは東武だが少しJRが絡む。



急いで撮影したのでちょっとボケ過ぎたが「ウィークエンドあかぎ」充当中と思われる185系。私の方を向いているのは普段の熱海寄り先頭である1号車なので、組成は逆向きである。



池袋駅山手線ホームから撮影した東武8000系の接合部分。池袋駅は山手線外回りホームと東武東上線のホームが隣り合わせに設置されており、山手線側から何の差し支えなしに眺める事ができる。現在、この8000系は東上線や伊勢崎線をはじめ、野田線や亀戸線、越生線、大師線、宇都宮線などの支線運用でも活躍している。ちなみに8000系は老朽化に伴い、日光・鬼怒川線方面に充当される6050系と合わせて2012年迄までに全廃されることが報じられている。となれば亀戸線や越生線などの支線に在籍するワンマン対応車は10000系や10030系を転用して置換えられるということになるだろうか?



和光市へ向かっている最中、お昼寝最中の10000系と10030系を見たので早速カメラを回した。おそらく上板橋駅付近にある留置線と思われる。奥から2番目で寝ているのは10000系で、残りは全て10030系だ。いずれも地上線用なので地下鉄乗入れは行われていない。

最近は大学でも東武鉄道の話をする事が多くなった為、私も乗ってみたいと思うようになってきた。いずれは全線乗りたいところだ。

posted by: 新幹線エキスパート | 東武鉄道 | 16:43 | comments(0) | trackbacks(0) |-